<ニューヨーク・イベント情報誌 「よみタイム」 VOL189. 2012 年 9 月7日号>から抜粋

地下鉄ミュージシャン 高木靖之さん

原点に立ち、初心取り戻す -  ヤズバンド10周年記念ライブ

 9月14日(金)に念願の10周年記念イベントを行う、ヤズこと高木靖之さん。初のベスト版となる5枚目のCD「All For Love : Best of YAZBAND」も完成した。

 MTA(ニューヨーク市交通局)傘下の「ミュージック・アンダー・ニューヨーク」のオーディションに02年に合格。以来、グランドセントラル駅やペンステーション駅構内を中心に演奏をつづけてきたヤズバンド(Yaz Band)。テナーサックスの高木さんのジャズグループだ。ノリのいい、グルーブ感いっぱいのサウンドは、忙しいはずのニューヨークの地下鉄利用客の足を釘付けにしてきた。活動は耳の肥えた多くのニューヨーカーのハートを鷲づかみにしてFOX5やCBSなどキーテレビ局でも紹介され、FMラジオ局やケーブルテレビにも出演、日本のメディアや旅行ガイド本などにも登場するほどの勢いをみせる。 一方で「ミュージック・アンダー・ニューヨーク」プロジェクトの審査員を三度務めるなど、その実力に対する評価はきわめて高い。

 ニューヨークに来たのは92年。ヤズバンドとしては10周年記念でも高木さんの胸の内では20周年記念だ。「こんなに長居するつもりはなかったんですよ」。ただ無性にニューヨークの空気が吸いたかった。ジャズの最先端に身を置けば自然と技術も向上するんじゃないかという思いで、29歳の青年の頭はいっぱいだった。まわりの音楽仲間がニューヨークに渡り、ニューヨークで活躍する知人のうわさも耳に入り、居ても立ってもいられなくなった。

 サックスを始めたのは大学に入ってから。早くはない。大学のブラスバンド部で初めてサックスに触れた。「それまでジャズは好きで聴いていたんですけど、自分で弾くというチャンスがなかった」という。モダンジャズというより70年代だったので、フュージョンのハシリみたいなものをよく聴いていましたね」。サックスを手にしたあと、自分でもジャズをやってみたいと、強く思うようになる。出身は大阪だが京都でプライベートレッスンを受けるようになり、音楽仲間とセッションを楽しんだ。大学卒業後は専攻した障害児教育を生かして福祉施設に勤務。指導員として知的障害者の職業訓練を含むプログラムに従事した。かたわら、止むことのないジャズへの情熱は膨らむ一方、そんな中、「友人のニューヨーク行き」が大きな刺激に。加えて職場環境の変化にも後押しされて、とうとうサックス一本を片手に夢に見たジャズの本場の土を踏む。それからは苦労の連続。めげそうになりながらも自分なりの音を追い、サックスの先生の厳しい指導にも歯を食いしばって耐え、腕を磨いた。

 10年目にようやくつかんだニューヨーク市公認の地下鉄ミュージシャンというステータス。いろんな人に声をかけられることが増え、誰の目にも着実にメジャーへのステップをのぼる高木さんの姿が見えた。2年前、全米デビューを目指してあるエージェントと契約を結ぶ。ところがこれがケチのつき始め。悪質なエージェント、無責任なプロモーター、怠慢なPR担当にふりまわされた。活動は続けたものの常に契約が重荷となり、おのずと制限を加えざるを得なかった。その契約も今年1月にようやく終了。「もう完全に人間不信に陥りました」と今では思い出したくもない様子だ。音楽専門学校で学んだ経験のない高木さんには、学校関係のつてを頼るすべはない。「今はなにより解放感がうれしいですね。これからしばらくは僕の原点である地下鉄に戻って、ニューヨークに来た時の初心と向き合いながら自分の技術をもっと高めることに専念します」と言葉を選びながら話す。「音楽ビジネスの波にうまく乗るということと、音楽を演奏するということはやっぱりどこかが違うような気がしますね」

 年に一度帰国すると中学や高校の同窓会の誘いがかかることも多い。「いまのところ同級生たちについ引け目を感じちゃってまだ一度もでていないんですよ。いつか自分も胸を張って凱旋公演が出来たらいいんですけどね」と笑う。10年に及ぶ公認地下鉄ミュージシャンという勲章と実力を頼りに、原点からの再飛躍を期待したい。

(塩田眞実)

 

 
© 2012, Yaz Takag Music. All rights reserved.