<「朝日新聞」  2008 年 1 月 10 日>から抜粋

ニッポン人・脈・記

マイ ニューヨーク ③   「地下鉄」から飛び出せ

 星座模様の大きなドーム天井で知られるグランドセントラル駅は、 1 日 15 万人を超える通勤客が行き交う。その地下鉄構内は、ちょっとした音楽名所である。
 ある日の夕方、高木靖之( 44 )が率いるジャズグループ「 YAZ バンド」の演奏がはじまった。構内に高木のサックスが激しく、切なく流れていた。ドラムもキーボードもベースも日本人で、みんなぴったり息が合っている。くたびれたサラリーマンたちの足が止まり、緊張した顔がほぐれる。
 バンドのメンバーは、リーダーの高木をのぞけば、けっこう入れ替わる。安定してやっていけるのはニューヨークでもほんの一握りで、多くの音楽家はバンドをかけもっている。
 ニューヨークのメトロポリタン交通局は、鉄道と地下鉄の駅を快適にしようと、ミュージシャンやパフォーマーを厳選し、演奏を許可している。 85 年から続いている制度で、現在 100 組以上が 25 カ所で毎日のように演奏している。高木は 02 年に応募、日本人では珍しい公認の“地下鉄ミュージシャン”である。  

 この日の「 YAZ バンド」 4 人を紹介しよう。
 高木は大阪府出身。父はジャズレコードの収集家。その影響か、大学に入って初めて部活でサックスを吹いた。福祉施設で働きながらジャズスクールに通い、 5 年の後ニューヨークに出てみた。 16 年前の春だった。
 しかし、待っていたのは自信喪失の日々だった、「日本で全然知られていないような人がすごい演奏をしている!」。そんな人がどこのクラブにもいっぱいいた。
 「僕の入り込むスキなんて全くない!」
 ビザ切れ寸前のある日、高木は公園で練習していた。男がつかつかと寄ってきて「そうじゃない、貸してみな」。サックス奏者ロブ・シェップスだった。
 高木は不法滞在覚悟でロブのレッスンを受け、アパートの地下室で朝まで練習し続けた。評判は徐々に高まり、CDも 3 枚出した。「だけど地下鉄だけで終わっちゃうのはいやだ」。書店でアルバイトしながら次への飛躍をめざす。

 キーボードの神田斉(34)は名古屋生まれ。高校時代はキーボードに狂った。大学を出て居酒屋チェーンの店長に。周りを見ながら寝るまもなく働くレールは嫌だと 7 カ月で辞めた。
 寮暮らしで留守していたアパートに戻ると、物置にほこりをかぶって残ったキーボードが目に入った。高校時代の熱がよみがえった。  
 ボストンのバークリー音楽院で腕を磨き、ニューヨークに来たのは 05 年 5 月。貧しくとも音楽で自立すると決めた。バーで演奏中、知り合った黒人プロデューサーを通じ、高木と出会ったのは 06 年春だった。  

 ベースの息才隆浩(39)は北海道・函館出身。高校時代にバンドコンテストで頭角を現し。東京、福岡で音楽の道を探ったが、無名の若者にチャンスは少ない。就職しようと函館に戻った。
 ある日、有名なソウル歌手がツアーで函館に来た。バックの一流ギタリストに頼んだら、夜中に一緒に演奏してくれた。「何だお前、すごいじゃないか」と認めてくれた。31歳でニューヨークに来て、 3 年ほど前から高木と共演し始めた。

 ドラムの宮本慎也(36)は広島育ち。幼稚園から賛美歌に親しみ、ピアノ、キーボード、ドラムと音楽一筋。バークリー音楽院に学び、 95 年にニューヨークへ。
 01 年に高木と出会う。「ここではまだアジア系が音楽で人を魅了する状況は作られていない」。だから自分達の手で、と高木たちとの演奏に張り切っている。
 

 4 人の音楽の道が出会ったニューヨーク。グランドセントラル駅での演奏は午後 6 時に終わった。「グッド!」「グレート!」。白人や黒人通勤客と握手。チップ用の段ボール箱は半分まで 1 ドル札で埋まっていた。
 「じゃあ、また」。 4 人は別れた。別のバンドで演奏したり、 YAZ バンドで共演したり、それぞれの音と夢を追う。                             

                                             (都丸修一)

 

 
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